「子育ては謎だらけだ」
マルチバースに飛び去る娘を見送り、グウェンの父はつぶやいた、、、
この1週間で、是枝監督の『怪物』と、第91回アカデミー賞長編アニメ映画賞を受賞したスパイダーバースの続編である『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』を立て続けにみた。
「私のぼうやが大人になるのをみるのが少し寂しい」というマイルズ・モラレスの母親の台詞は、きっと大半の親が思うことなのだろう。
しかし、マイルズはすでに高校生、両親は寂しさを抱きつつも、背中を押す必要性を自覚している。自覚しているというよりは、ほんとうは背中を押したい、だけど心配。というところか。
それは現実には、グウェンの父親のつぶやきと重なるように、もはや理解のできない「他者」である我が子をただ見守る、という態度が求められるのだろう。
他方で『怪物』では、もっと早い段階で子どもが「他者」であるということを描いている。
小学生の我が子が、もはや理解の及ばない「他者」であることを理解できない親(清高:依里の父親)や、自覚できない親(早織:湊の母親)は、愛しているはずの我が子を追い詰めてしまう。
どうだろう。小学生の子どもが他者であるということを自覚し尊重するということは、言葉で言う以上に実践が難しいんじゃないか、と思う。
自分の長男は今年で5歳、あと2年で小学生だ。
まだまだ「私のかわいいぼうや」で、あと2年でどうにかなるとは思えない。
とはいえ、もう様々なこだわりはあるし、趣味嗜好も出てきている。
親にとっては些細なことでも、子どもがひどく傷ついてしまうということは往々にしてある(自分もやってしまう)し、
親の知らないうちに、何かよくわからない行動をしていることも多々ある。
早織は湊の変化に細やかに反応している。
突然髪を切ったり、片方のスニーカーがなくなっていたり、水筒に泥?が入っていたり、不穏な言葉(豚の脳とか)を言い出したりすることに違和感を持ち、学校に相談に行く等速やかに対処している。
そこでは、まったく手応えのない学校の対応に怒りを覚え奔走する。
また、半ば大袈裟に「親身な母」を演じ、湊が悩みを打ち明けられるように努力していることがわかる。
そうしたことが、「実はものすごい勢いでボタンを掛け違えてしまっていた」ということが、物語の進行とともに明かされていくのが本作の見どころの一つなのだが、見ていて大変苦しかった。
これ、実際に湊の親の立場に置かれたとしたら、適切な対処ができる自信がまったくない。
子どもの口から、担任にいじめられているなんて聞いてしまったらもう他の可能性は考えられないでしょう。
だからもっと手前で、子どもがそういう話を自然と打ち明けられる環境をつくらなきゃならないんだろうね。
家庭のレベルというよりは、社会のレベルで。
いまはそういう社会じゃない、だから親が気づくしかない、でも気づきようがない。
そういうどうしようもなさの中で、子ども同士は心を通わせ、親の元を去っていく。
美しいが苦しく、救われるようで絶望でもあり、宙ぶらりんな気持ちにさせられる映画だ。
願わくば我が子は、危機を切り抜け、無事に世に飛び立って欲しい。
スパイダーマンでもマルチバースでもなんでもいいからさ。いつの日か背中を押させてくれ。
あ、あと、言うまでもないが
アクロス・ザ・スパイダーバースは映像音楽脚本すべてが神の領域にあるので、劇場で観るのをおすすめする。
ジョークも刺さるものが多かったなあ。