「幻想水滸伝」シリーズを手がけられた村山吉隆氏が、2024年2月6日に亡くなった。
ご冥福をお祈りします。
「藪の中」(黒澤明の映画では「羅生門」)に代表されるような、「人間はひとつの出来事からひとつの真実を導くことができない」というテーマを私が初めて体験したのが、「幻想水滸伝3」だった。
物語序盤、ある一族の族長が暗殺される事件が発生するのだが、プレイヤーが最初に選択する陣営によって、その出来事の描写が大きく変わる。
加害側(とされる)陣営の視点では、族長暗殺の描写はなく、突然あらぬ疑いをかけられるように感じるし、
被害側陣営の視点では、実際に敵対勢力の主要人物が自陣に攻め入ってくる防衛戦が展開される、、、。
このエピソードの結論としては、第三勢力による介入によって両者の紛争を仕組まれていたという話になるのだが、このような、さまざまな視点を(キャラクターを)用意して、群像劇を展開することにかけて、「幻想水滸伝」シリーズは同世代のゲームの中で一つ抜きん出ていたのではないかと思う。
また、架空の歴史描写、時間の流れについても、よく作り込まれていたように思う。
幻想水滸伝では1〜5までナンバリングタイトルがリリースされているが、すべて同じ時空を共有している。
それぞれ、主となるエリアや時代が違うのだが、ゆるやかにつながりがあり、1で出てきたキャラクターが2や3に出てくるなどがある。
また、作品を超えて伏線が回収されることも多く、3のルックの描写や、4のテッドの登場に涙したシリーズファンも多いのではないだろうか。
※余談だが、2023年末から現在にかけて、私が最もはまり込んでいるのが「葬送のフリーレン」だ。時間軸の扱いが巧みで、長寿であるエルフのフリーレンを軸に、①見習いの弟子時代、②勇者一行として旅する時代を、③師匠として旅する現在から、ちょこちょこと思い出すような形で描写される。
幻想水滸伝シリーズは、横山光輝「三国志」を愛し、最高のドラマシリーズとして「ゲーム・オブ・スローンズ」を挙げるような私の好みの形成にたいへん大きな影響を与えてくれたんだろうなと思う。
お疲れ様でした。
ゆっくりお休みください。