子どもができて、就寝時間が遅くなった。
昼夜を問わず泣く時期はとっくに過ぎたのだがそれとは別に、子どもの面倒をみて、家事を済ませ、夫婦の時間を過ごし、さて自分の時間を過ごそうとなると、どうしても就寝時間が遅くなる。
だいたいは本を読むか、映画や海外ドラマを観るか、ゲームをするかという過ごし方をする。
それは独身時代とあまり変わらない。
しいて違いを言えば、日中の疲労からか、より頭を使わないゲームの比率が高まったことくらいだろうか。
気分転換に散歩をすることも増えた。
部屋着にサンダルという格好。目的地はないのだが、とりあえずコンビニに寄る。
「子どもができると、みんなダサくなっていくんだよ」と元バイト先の先生に言われたことを思い出す。
某氏がアフター・コロナに失われる平成の風景として(現実、あるいはアニメやゲームの表現においても)24時間煌々と輝くコンビニやファミレスをあげていた。
とすると、この未明の散歩の経験は、コンビニやファミレスの光とともに記憶されることになるのだろう。
「おまえが小さい頃は、よく夜中に理由もなくコンビニまで行っててな…」
という話をいつかするのだろうか。
日常のちょっとしたシーンが、その後の人生において鮮明に記憶されることはままある。
たぶん、村上春樹の『猫を棄てる』を読んだせいで、そういった「記憶」について敏感になっているのだろう。
今夜、子どもを寝かしつける前に、だっこをして少しの間外に出た。
小さな月が出ていた。
「お月様だよ」と指で示すと、これまでは認識していなかった「月」を見つけて、「おおーーー」と興奮していた。
家の陰に隠れたり、また現れたり、その変化が楽しいようで、必死に首を振って歓声をあげていた。
おそらく、月をみつけた今夜も、忘れることなく大切に記憶されるだろう。
…ところで明日は朝から消防車を見に行くのだった。いい加減寝よう。
おやすみなさい。
村上春樹『猫を棄てる』