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自分のためのノートを。 映画やドラマ、小説、ゲーム等についての感想、考察、その他諸々。

家族について 『マリッジ・ストーリー』

観ようとおもってから、長らくマイリストに埋まっていた『マリッジ・ストーリー』を昨晩よくやく観終えた。

 
ひとまず反射的に、Filmarksではつぎのように感想を述べた。
 
 
 
夫婦で視聴。
中盤、演技力大爆発の喧嘩シーン後しばらく沈黙するなど。
 
法令があって、慣例があって、心証があって、それらを知り尽くした弁護士同士の争いに置いていかれる描写(主演らの表情等)があるからこそ、それらから遠く離れたふたりの生の対峙が際立っていて、よかった。
 
法廷での離婚は、終始の金の話である。
それはジェイの相談料(1h1,000ドル近くってたけー!)から始まり、ノラの天才助成金への言及で終わる。
 
でも、ふたりが拘っているものを当然それではない。ともに生きてきた時間について、いかにすれ違っていたかについて、いかに誤解していたかについて、息子への愛について、である。
 
夫側の親権獲得に焦点を当てた『クレイマー・クレイマー』(の時代)には見えてこなかった、対等な人間同士のぶつかり合いが垣間見えた。
 
 
 
一夜が明けて読み返すと、「子ども」についてほとんど言及してないことに気づいた。
 
『ファミリー・ストーリー』ではなく『マリッジ・ストーリー』なのは、あくまで夫婦の話が主題ということなのかな。
 
ヘンリーの気持ちがいまいち見えてこなかった。
 
 
ところで『クレイマー・クレイマー』の、フレンチトーストをつくるシーン(最初は絶望的な父子の共同作業が、終盤、文句のない連携を見せる)が好きなのだけど、『マリッジ・ストーリー』の父は、むしろ料理が得意。子どもはお皿を並べるくらいの役回り。
 
『クレイマー・クレイマー』、40年も前の映画なんだね。料理シーンだけでなく、社会状況の違いを考えながら見比べるのは楽しい。
 
他方で、裁判所の独特な雰囲気や、子どもが翻弄されるようなイメージは変わらず。
 
 
最後にひとつ。
ニコールの母がさらりと言い放った「あなた(ニコール)と彼(チャーリー)の関係と、私と彼の関係は別問題」(うろ覚え)という言葉は素敵だと思ったし、自分もそういう考え方を持てるようになりたいと思う。
 
子であろうと、親であろうと、ひとりの別の人間としてリスペクトすることは重要だなと感じる。