映画について、こだわるカットや表現がある。
たとえば、クリストファー・ノーランは手元のカットにこだわる。タランティーノは足にこだわる。
監督たちがこだわるように、観る側にもこだわりが生まれる。
自分が、「ハイウェイから降りるカット」に惹かれるようになったのはいつからだろうか。
深夜。ハイウェイの照明が等間隔に照らす中を、車が進んでいく。ハイウェイの外には、ところどころ建物の明かりが見える。
カーブに差し掛かり、ほのかに遠心力を感じる。アクセルを踏み込む。心地よいエンジンの音が、僕を安心させる。
車はまばらで、なにか約束を守るように、それぞれの距離を保っている。
そして車たちは少しずつ、しかし着実に、ハイウェイの流れから外れていく。そこに出口があるから。
脇にそれ、すこし並走した後に、スッと消えていく。
そして僕の番だ。
ウインカーを出す。後続車に注意を払い、ハンドルを切る。僕はここで降りる。遠のく流れを横目に、ヘッドライトを頼りに暗闇を進む、、、
『HEAT』では、ロバート・デ・ニーロ演じるニール・マッコーリーが、復讐のために、ハイウェイを降りる。もう流れに戻れないことを感じながら。
いくつかの作品でそういう表現を観たことがあるけれど、今思い出せるのはこの作品だ。
美術作家の弓指寛治による『ダイナマイト・トラベラー』では、山奥でダイナマイト心中を遂げた人妻と若い男の話である(弓指寛治については、別にまた書きたい)。
彼らは舗装された山道から、唐突に険しい獣道に入っていったことが推測されている。
これを弓指は、本人たちが気づかずに「人の道を外れた瞬間」と捉えているようだ。
僕はたぶん、流れから外れ、そして消えていったものに興味があるのだと思う。
かつてそこにあったが、今はないもの。
歴史を語るときに、語りえない「異物」。
ハイウェイを降りたものたちについて、考えていきたい。